「ねぇおチビ? …なーに熱心に不二の事見てんの?」

「え?」





eye's





そろそろ日差しが強くなってきた季節。

部活も今まで以上に気合が入る時期のはず…が、リョーマは五月病のように脱力していた。

けれどそんな様子を表に出すほど、抜けてはいない。

休憩時間の間だけでもと、思いっきり力を抜いてベンチに座っていた。

そんなリョーマに目敏く気づいた三年の菊丸英二は、後ろから抱きつくようにリョーマの首に両腕を回した。

スキンシップが大好きな彼にとって、これぐらいは日常的な行動だ。

リョーマも諦めているのか、特に嫌がったりする素振りは見せない。…あまりいい顔はしないが。



「…俺、英二先輩に気付かれる程、見てました?」

「にゃ?!俺が鈍いみたいな言い方してるなぁ? 俺、結構鋭いのにぃ〜」



不満そうに唇を尖らせる菊丸に、リョーマは仕方ないな、という表情をする。

身長差や体格差があるから、どちらが年上か判断出来るが…こうしていると、精神年齢の差が出てくる。

というより、リョーマが年の割りにCOOL過ぎるのだが。



「別にそんな事は言ってないッスよ」

「にゃはは♪ ま、いいけどね。おチビってば、食い入るよーに見てるんだもん」

「…そっすか」



あまり意識してなかったリョーマは、少し落胆気味に答えた。

…自然と、目が追っている。リョーマから見た不二は、色々と惹かれる部分があるのだ。



「一体越前は、不二の何を意識してるのかな?」

「あ、乾じゃん」



菊丸が「今気付いた!」とばかりに声を上げると、リョーマも首を上げてそちらを見た。

相変わらず、【乾ノート】に何かを書き込みながら、乾は興味深げにリョーマを見ていた。



「別に…」

「別にって事はないだろ〜? なんか、不二見てる時のおチビ、真剣だもん!」

「……あの人、テニス上手いし…だから気になるだけッスよ」



それもあったが、正直な気持ちはリョーマにも説明出来そうになかった。

もともと口数の少ないリョーマにとって、自分でも理解出来ていない気持ちを説明するのは面倒な事この上なかった。

そんなリョーマの気持ちを大体読み取ったのか、乾はにやりと笑みを浮かべた。



「そう言えば、越前と不二の試合は保留にされたままだったな?」

「あー、そんな事もあったね。 ど?不二に勝てそう?」



今まで一度だって不二に勝てた事のない菊丸は、からかうようにリョーマに聞いた。

リョーマは不貞腐れたような表情をすると、ぼそりと言った。



「勝ちますよ、絶対。 でもあの人のテニスは、メチャクチャやりづらい」



その言葉に、乾と菊丸が顔を見合わせた。

いつも対戦相手について多くは語らないリョーマにとって、この言葉は相手への最大の賛辞と呼べるからだ。



「へぇ、おチビちゃんがそんな事言うなんてね」

「興味深いな…。 一体どんな所を、そう思うんだ?」



リョーマは面倒臭そうに溜息をついた後、仕方なさそうに口を開いた。



「…だって、あの人のテニスってあの人の性格そのままなんだもん」

「…不二の性格?」

「うん。あの笑顔と同じで一癖も二癖もあるし。 …あの笑顔で隠しちゃうから、試合でも何考えてるか分かんないし」

「へぇ!おチビってば、不二の事よく分かってんじゃん!」

「あの笑顔の裏に気付くとは…なかなかやるな」



菊丸はリョーマの頭をぐりぐりと撫でたかと思うと、にっこり笑って見せた。

そんな風に笑顔を見せられたら反論も出来ず、リョーマは黙って乱れた髪を整えた。



「…それに、結構怒らせると怖い人だよね。聖ルドルフの…観月さんだっけ? …あの人、散々な目に遭ってたし」

「そうそう! …ここだけの話、俺達の間だとね?手塚より不二を怒らせるな!っていう暗黙のルールがあんだよ」

「あぁ、不二の事をあまり知らなかった頃は、大変だったよな。 あの迫力に、菊丸は何度か泣かされただろ?」

「いーぬい!余計な事はいいの!!」



後輩に嫌な過去を知られたくないのか、菊丸は頬を膨らませて乾をバシバシと叩いた。



「…ふーん。 でも、あの人を怒らせたら…確かに怖いッスよね」

「ホントおチビってばよく分かってるなぁ。 あの笑顔に、普通は騙されるもんだけど」

「そうだな。不二のファンは、間違いなく騙されている」



乾はフェンスの外から黄色い声援を飛ばしている女の子達を見て、苦笑を洩らした。

手塚のファンも多いが、それ以上に不二は多い。…手塚と違い、誰にでも優しい性格がそうさせているのだろう。



「…けど、あの優しい性格もつくってるだけじゃないッスか。何であんな分かり易いのに、騙されるんだろ…」

「えー!?あれは分かり難いって!」

「そっすか?俺は入部してすぐに気付いたけど…」



あの穏やかに微笑んだ表情とは裏腹に、全く笑っていない瞳。

そのギャップは、リョーマにとって嫌でも気付いてしまうものだった。



「感心感心。その洞察力はテニスに重要だ。 …しっかり養った方がいいぞ」



乾は表情にこそ出さないが、リョーマの分析ぶりに舌を巻いていた。

同級生である3年レギュラー…その中でも洞察力に秀でている自分ですら、不二の優しさの裏にそうそう気付けなかった。

(まったく…。油断出来ないルーキーが現れたもんだ)

感心と同時に、少し喜びを感じた乾の、正直な感想だった。



「…ねぇ、さっきから僕の事をネタにしてるみたいだけど。 …楽しい?」

「ゲ…その声は…」



菊丸は驚いて、毛を逆立てるようにビクリと震えた。

恐る恐る振り返ると、そこには例の笑顔を顔に貼り付けた不二が立っていた。



「皆して、僕の陰口?」

「まっさか〜!そんな訳ないじゃん」



菊丸は笑顔で返事をする。しかし陰口にもとれる内容なので、少し後ろめたそうな引きつった笑顔だが。

リョーマは二人を見て、思う。やはり不二の笑顔と菊丸の笑顔は違う、と。

基本的に、菊丸の笑い方に裏はない。楽しいから笑う、笑いたいから笑う。そんな本能に従ったような純粋な笑顔。

しかし不二はというと…何かを覆い隠すような、笑顔ではない笑顔。瞳には強い意志を秘めた、鋭い笑い方。

言葉では到底表現の出来ないような、微妙な違いではあるが。 …でも、確かに菊丸と不二の笑い方は違う。



「おチビちゃんがね、不二の事よく分かってるから…褒めてたんだよ」

「ふーん?越前君が? 何を話してたの?」



不二は標的を変えたようにリョーマの方を向くと、変わらず、にこにこと笑顔を浮かべた。

そんな不二にウンザリしながら、リョーマは呟いた。



「…不二先輩の笑顔は、裏がありそうって事とか、優しい雰囲気はつくってるだけ、とか」



普通なら、本人には言い難いだろう言葉を、リョーマは吐き捨てるように言った。

菊丸と乾も、流石にこれはマズイ…と顔をしかめた。

不二を怒らせると、色々と面倒な事になる。

(今日の部活は荒れるかな…)菊丸と乾は、顔を見合わせてそう思った。



「あははっ!越前君って凄いね? それ、英二達は全然気付かなかったんだよ」

「…認めるんすか」

「まぁ、否定しても仕方ないしね。それに見破ったの、君が初めてだから…少し嬉しいかな」



不二はお腹を抱えて、可笑しそうに笑った。 …こんな不二を見るのは初めてである。

菊丸達はおろか、他の部員達も何事かと視線を向けた。



「けど…そっかー、越前君って、人の事見てないようで見てるんだねぇ」

「それ、褒めてるの?」

「うん」



不二は興味深げにリョーマを見つめると、にっこりと笑った。



「ねぇ、その笑顔は俺には通用しないよ」

「あぁ…そうだったね」



不二は切れ長の目を細めると、面白そうに口元に指を当てた。

見破られた事自体、初めてなのだ。これからこの後輩と、どう接していこうか考えていた。

そんな不二を、リョーマは黙って睨むように見上げていた。

…まるで竜虎の争い。菊丸は怯えたように、リョーマに話しかけた事を後悔していた。



「…ふふ、まぁいいや。もう休憩終わってるみたいだし、僕は行くよ。 …英二達も急いだ方がいいんじゃない?」



不二はいつもの、優雅な笑顔で言った。それを聞いて、菊丸は周囲の様子に気付いた。

…とっくに休憩時間は終わっているようで、手塚が恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。

けれど手塚も人の子。不二の機嫌は損ねたくなかったらしい。

話を折らないよう気を遣って、取り敢えず話が終わるまで待っていたようだ。



「菊丸、乾!…それに越前!!レギュラーがたるんでいてどうする!…校庭30周だ!!!」



それを聞いて、菊丸はガクッと肩を落とした。



「くっそー…」

「仕方ないよ。さ、走ってきたら?」

「行くぞ菊丸。 これ以上遅れると、追加される」



不二と乾に促されて、渋々菊丸は頷いた。



「おチビ、お前も…って、おチビは?」

「もうとっくに走り始めてるぞ」



乾に指差された方を見ると、リョーマが既に半周分くらい走っていた。



「あー!おチビの奴!」

「こらこら、そんなにペースを上げると、バテるぞ」



乾に注意されても聞く耳持たず。菊丸はリョーマに追いつくべく猛ダッシュした。

練習に参加しながら…不二は走っているリョーマを眺めた。

不二は改めて、リョーマの事を強く再認識した瞬間でもあった。























「あっちー…疲れたにゃー!」



部室に戻るなり、菊丸は叫んだ。

そんな菊丸に、乾は呆れたように口を挟んだ。



「あれだけ飛ばせば、そうなるのは当たり前だろう」

「だっておチビに負けたくなかったし〜…」



菊丸は黙々と着替えをしているリョーマを見ると、唇を尖らせた。

感情をあまり出さない所が可愛いのだが、ここまでスルーされるとちょっと虚しい。



「…じゃ、お先ッス」

「あぁ、明日も遅刻するなよ」

「ばいばーい、おチビ♪」

「…ッス」



多分遅刻するだろう、と思いつつ言う乾と、もう立ち直ったかのような気分屋の菊丸に軽く頭を下げて挨拶して、部室を出た。

後はもう、家へ直行するのみである。

けれど、門の所まで来た時、リョーマは驚かされた。 …不二が、立っていたのである。



「…先輩?とっくに帰ったんじゃ…」

「うん、他のメンバーはね。 僕は、君を待ってたんだ」

「何で?急ぎの用ッスか」

「まぁ…ね。取り敢えず、一緒に帰らない?」



もう笑顔が通用しない事が解っているので、不二は微笑んだりしていない。

強い相手との試合の時のような、キリッとした表情でリョーマを見ている。

しかしリョーマには、むしろその表情の方が自然な気がして、安心した。



「…いいけど。でも先輩の家って、反対方向でしょ?」

「うん、まぁね。送って行ってあげるよ」

「いいっすよ、そんな…」

「遠慮しないで。僕、君に用があるって言ったでしょ」



そう言われて断れるはずもなく、一緒に帰る羽目になった。

しかし不二はというと、肝心の用、を切り出そうとはせず、世間話ばかりをする。



「…不二先輩。いい加減、用ってのが聞きたいんすけど?」

「あぁ、それね。 …うん、そうだね。言おうか」



不二はまた、あの笑顔を浮かべた。しかしいつもと違うのは、優しい雰囲気でない事だ。

どこか楽しんだ様子さえ感じられる微笑み方。



「あのさ、僕と付き合わない?」

「…どこへッスか?」



困惑気に答えたリョーマに、不二はくすくすと笑った。

「そういう意味じゃなくて…」そう言いながら、リョーマの身体を民家の塀に押し付けた。

突然の不二の行動にリョーマが成す術もなくしていると、顔をぐっと近づけられ…

あと数センチでキス出来る距離まで縮まった。



「僕と、恋人にならない?って意味」

「は…? …何、言ってんすか?」

「君、僕に興味あるでしょ? 好きなんじゃない、僕の事」



自信たっぷりに言われ、呆れるよりも感心してしまった。

…けれど、それに自分が関わっているのだから、このままには出来ない。

リョーマは大きく首を振って、反論を試みた。



「何言ってんすか! 俺、ゲイじゃないッス!」

「…他の人に対しては、でしょ? それなら僕だってそうだもの」

「…不二先輩に、対して、だけ…?」



リョーマは考え込んでしまった。 …確かに、不二に対しては不思議な感情を持っている。

もっと知りたいと思うし、もっとテニスもしたいし…。

他人に深く干渉しないリョーマがそう思う事自体、「恋心」と証明しているが、当のリョーマはそれに気付く余裕はない。

混乱しているリョーマを、不二は楽しげに見ていた。



「ね、結構好きでしょ?」

「…分かんない」

「そっか。でもその内、僕の事しか考えられなくなるよ」



不二はにこりと微笑んだ。その笑顔に、リョーマはおや、と思った。

今まで見た中で、一番違和感のない…綺麗な微笑みだったからだ。



「ねぇ…付き合わない?」



リョーマはゾクリと、身震いするのを感じた。

耳元で囁かれる、甘美な言葉。柔らかく吹き付けられる吐息が、くすぐったく…

溺れてしまいそうな錯覚を起こし、リョーマは顔を赤く染めた。



「真っ赤だよ…可愛い」

「可愛いなんて…!嬉しくない…」



キッと睨みつけるが、赤くなった顔では全く威力がなく、更に不二を煽った。

不二自身、この後輩に対して身震いを起こしていた。

不二が必要以上に求めるスリル。それをリョーマは満たそうとしている。



「本気なの…先輩?男と付き合うなんて、リスクの高い真似するなんて…」

「リスクは高い方が、達成感があるよ?」

「でも…先輩、女の子にだってモテるし…俺じゃなくったって…!」



リョーマの訴えに、不二は少しだけ眉を寄せると、その身体を抱きしめた。



「そんな言葉を聞きたいんじゃない。 …君が僕の事、好きかどうかを聞きたいんだ」

「…不二、先輩…」



リョーマは返答に困った。このままO.Kしたとして…ただの気紛れだったら、どうしようと。

そんな事は有り得ないのだが、今のリョーマは判断力がなくなっていた。



「俺、不二先輩の事…すっごく気になるんだ。それが好きなのかは…よく分かんないけど…」

「…それで十分。大丈夫、すぐにその気持ちが何か、自覚させてあげる」



不二は不敵に微笑むと、軽くリョーマの頬にキスをした。



「…嫌だった?」

「別に…嫌じゃない」



それがリョーマの率直な感想だった。もっと嫌悪感があるかと思ったが、そうでもない。

これが好きって気持ちなのか。リョーマは心の中で思った。



「じゃあ先輩…」

「ん…?」

「俺を溺れさせてみせてよ?」

「…いいよ。覚悟してね」



いつも通りの、リョーマの不敵な笑み。いつも通りの、不二の優しい笑顔。

普段と変わらないその動作が、実はいつもと少し違う。

お互いに、相手に対する想いが変化した、微妙な違い。



「…さ、帰ろうか」

「うん」



不二とリョーマの関係が著しく変化した時のお話。

全てを変える、始まりの瞬間。